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張ダビデ牧師の 第二コリント13章 深層解説:三位一体、救い、そして共同体の秘義

1. の順序にめられた神的秘義:なぜ「主イエスキリストのみ」が最初なのか?

伝統的な祝祷文が「父と子と聖霊」の順に唱えられるのとは対照的に、第二コリント13章13節では**「主イエス・キリストの恵み」**が最初に挙げられます。張牧師は、この順序が私たちの救いと神認識が成り立つ核心原理を示していると語ります。

自然啓示の限界:人間は被造物を通して神の存在をかすかに認識できます(自然啓示)。ローマ1章20節は「天地創造以来、神の見えないご性質、すなわち永遠の力と神性は、造られた物によってはっきりと認められ...」と述べます。しかしこれだけでは神の人格、愛、救いの計画を具体的に知ることはできません。

唯一の特別啓示、イエスキリスト:ここで「特別啓示」が不可欠となり、その頂点がイエス・キリストです。張牧師は「わたしを見た者は父を見たのだ」(ヨ14:9)という御言葉のとおり、イエスこそが見えない神を完全に顕す方であると説きます。コロサイ2章9節も「キリストのうちに神の満ち満ちた本質が、からだをとって宿っている」と証しします。

仲保者イエス:したがって、私たちが父なる神に近づく唯一の道は仲保者イエス・キリストを通ることです(Ⅰテモ2:5、ヨ14:6)。まず**「イエス・キリストの恵み」-すなわち十字架の贖い-を体して初めて、その背後にある「神の愛」を悟り、それを私たちの生に適用される「聖霊の交わり」**を享受できるのです。張牧師は、この順序こそが救いが実現する霊的構造であると教えます。

 


2. 共同体をめざす5つの命令:三位一体的生活の実践(13:11)

祝祷を告げる前に、パウロは共同体が目指すべき5つの具体的姿を命じます。張牧師は、これが三位一体なる神のご性質に倣う共同体への実践的指針であると解釈します。

  1. 喜びなさい (Rejoice)
     この喜びは世俗的な楽しみではなく、キリストの十字架の愛を悟った者のみが得る内面的充満です。多くの苦難の中でもパウロが喜びを命じえた所以です。
  2. 全き者となりなさい (Be Perfect)
     これは「天におられるあなたがたの父が完全であられるように、あなたがたも完全でありなさい」(マ5:48)という主イエスの命令と同義。張牧師は、義とされた聖徒が聖霊の助けにより日々聖化を追求する過程だと説明します。
  3. 慰めを受けなさい (Be Comforted)
     「キリストの苦難があふれるほどに神の慰めもあふれる」(Ⅱコリ1:5)通り、教会は互いの傷と痛みを包み、神の愛を実践し合い、「慰めの神」となる共同体でなければなりません。
  4. 同じ思いを抱きなさい (Be of one mind)
     分裂と争いのあったコリント教会に、パウロは「ただキリストにあって一つとなる」ことを促しました。張牧師は、父・子・聖霊が完全な調和のうちに働かれるように、教会も互いの違いを尊重し一つの目的に協力すべきだと強調します。
  5. 平和を保ちなさい (Live in peace)
     この平和は世の与える条件付き安定ではなく、いかなる状況でも神を信頼するとき与えられる内的シャロームです(ヨ14:27)。この平安の上に立つ共同体のみが、世を仕える確信と安定を得られます。

 


3. 結論:張ダビデ牧師のビジョンと三位一体信仰

 

張牧師は、第二コリント13章の祝祷と勧めが21世紀の教会と聖徒にも変わらず適用される核心真理であると宣言します。

信仰は生活である:三位一体論は難解な神学理論ではなく、私たちを救い、聖め、愛の生を生きさせる「生命の原動力」です。

教会は三位一体の具現体である:教会は聖霊が住まわれる聖徒の集いであり、三位一体なる神の愛と救済計画が歴史的・現在的に臨在する現場です。

使命の再確認:この真理に立つ教会は個人の救いを超えて社会的責任を担い、文化を変革し、世界に仕える手を差し伸べるべきです。張牧師が提唱するG20、C12、フェローシップ、大学およびビジネス・ミッションなどのビジョンは、三位一体信仰を具体的に実現しようとする取り組みの一環です。

結局、「主イエスキリストのみと、神の愛と、聖の交わり」というパウロの祝祷を通して、聖徒は救いの真理の上に堅く立ち、互いに愛によって一つとなり、さらには世界に向かう使命を担う共同体として建て上げられなければならないと張牧師は力強く説きます。

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